RE5(Stralsund/Rostock行き)を利用する場合は、ベルリン中央駅から25分。中央駅のInformationで(Oranienburg行きの)時刻表(Rostock行き)が入手できる。1時間に1本ぐらい運行されている。ABC切符。帰りはRE5(ベルリン中央駅、ベルリンポツダムプラザ経由Wunsdorf Waldstadt行き)に乗ればよい。電光掲示板がプラットホームにあるのでそれで確認すること。(Informationで聞くのはいいが、外国人と思われる見知らぬ人に聞くのはいい加減な出鱈目を言うので聞かないこと。自分で確かめること。ドイツもフランスもイギリスも同じ。)
S1(S bahn Wannsee to Oranienburg)を使う場合は、Friendrich Strasse駅まで移動して、同駅から45分。
Oranienburg駅から歩いて20分ー30分なので、歩くのが簡明。運よく1時間に1本ほど運行されているバスに遭遇すれば、乗り込めばいい。
804番バスは8:19分着23分発の始発から1時間間隔で運行されている。Melz行きに乗り、Gedenkstratteで下車すればよい。土曜日と日曜日は9:19、11:19、13:19、15:19、17:19と本数が少ない。
821番バスは本数が少なく、11:55、1:55、2:55、3:55、5:00発のTiergarten行きに乗車して、Gedenkstratteで降車。
DBの時刻はネットでも検索できる。下記「ベルリン中央駅」をご覧ください。
ベルリン中央駅は3階建てになっており、何が何だかわからないので、最初はinformationに行き、どこどこに行きたいと伝えて何番線で乗るのか聞くのがいい。地下鉄であれば1日乗車券を買うのが手っ取り早い。時刻表もInformationで入手できる。地下鉄が最上階の上を走っていることを理解すること。
中央駅にはマクドナルドもある。中央駅で朝食Big Breakfastを注文して食べたが、分量はほどほどだった。
中央駅構内には寿司tokioがある。ここで電車の中で食べる寿司を買ってもよい。ついでにStill Waterも買うこと。
DBの列車の時刻表(英語)は下記で検索できる。駅の名前を入力すればいい。
https://www.bahn.com/en/view/index.shtml
THE SACHSENHAUSEN MEMORIAL AND MUSEUMのホームページは下記のとおりである。
http://www.stiftung-bg.de/gums/en/
http://www.stiftung-bg.de/foerderverein/fuehrungen/en/
オラニエンブルグ駅(同駅にはマックがある。駅を出て右側に歩けばよい。正面がバス乗り場)を出てStralsunder通りを右側に直進する。右に鉄道が走っている交差点で道路(Bernauer通り)を渡り、それから鉄道線路の下を歩く。このBernauer通りをまっすぐ直進して博物館の看板が見えたら、左折(Strasse der Einheit通り)して、直進する。看板に従って右方向(Strasse der Nationen 22 右側へ行く道も二股になっているが右側)に進めば入り口らしき壁があらわれる。バス(804と821)もあるようだが、徒歩圏である。バスに乗る必要はない。
施設は、広い敷地で、ナチス時代の強制収容所とソ連時代の収容所がある。ソ連時代の収容所は遠いところにある。展示は点在しており、SSなどの犯罪を暴いている展示もあるし、人体実験の展示もある。
館内で簡単な昼食をとることもできる。トイレも近くにある。展示の量が豊富なので、1日要する。ソ連時代の収容所も忘れずにじっくり見て回ろう。アウシュビッツまで行かなくても、ベルリンでこのような施設をじっくり見学できるのは、僕にとって勉強になった。
Oranienburg駅からベルリン駅への乗り場が何番線なのかわかりづらい。人が多いホームから乗り込む。早めに到着しておかないといけない。DBのRE5でベルリン中央駅にもどる。地下鉄S1で行くこともできるが時間がかかる。
ベルリン中央駅のホームで1日Berlin AB乗車券を買う。7ユーロ。これで地下鉄が好き放題乗れる。S5で隣のフリードリヒシュトラーセで降りて、先頭の方まで歩き、地下鉄U6に乗る。Hallesches Tor駅で下車。ユダヤ博物館と書いた出口を出て、直進して、次の角を右に折れ、大きな通りに面して渡り、左へ。ユダヤ人博物館がある。入場料が8ユーロで、解説の音声が3ユーロ。音声は非常に良い。音声の説明は解りやすい。音声機はID(パスポート)と交換というやり方。コンパクトな展示でレベルが高い。
ユダヤ人がどのように迫害されていったのか、WWⅠ、ワイマール憲法、ナチ時代という流れの中での出来事が描かれている。半分のユダヤ人が国外に出たことが記されている。
パレスティナ、シオニズム運動、死の行進(ザクセン強制収容所)
ユダヤ人博物館を出て、地下鉄U6でフリードリッヒシュトラーセに行き、S7で中央駅へ。S5でもいいようだが、S7が先に来た。それに乗ってベルリン中央駅に戻った。
野村吉三郎は第一次世界大戦のドイツが敗北した経緯をつぶさに観察し、ヒッラードイツに幻想を抱かなかった。一方大島浩はドイツは負けることがない、ドイツとともに歩めば失敗はないと考えた。
野村吉三郎の資料は国会図書館憲政資料室に所蔵されているが、戦後の回想と当時の記録に相違がほとんどない。大島は昭和36年37年ごろしきりに日独伊ソ4か国同盟構想があったと言い始める。この大島の証言が事実かどうか、なぜ昭和36年37年ごろからなのか(事実かどうかも含めて)検討する必要がある。ヒットラーを礼賛した歴史家にE.H.カーがいる。